アメリカにおけるステンドグラスの歴史|ステンドグラスのイロハ
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アメリカにおけるステンドグラスの歴史
ステンドグラスの起源はヨーロッパ中世のゴシック時代のキリスト教会です。
そこから、ルネサンス、バロック、ロココといったように歴史様式とともに発達しましたが、産業革命以降、リバイバルを繰り返す歴史主義は衰退し、19世紀後半には歴史主義においてはヨーロッパに代わってアメリカがトップに立ちました。
また、アール・ヌーヴォーという国際的な美術運動が起こったことが追い風となり、アメリカを舞台としてステンドグラスは最盛期を迎えました。
ジョン・ラファージとルイス・コンフォート・ティファニー、二人のステンドグラス作家によってアメリカ式はそれまでと大きく変えられました。
オールド・イングリッシュは細かいところや微妙な描写は鉛枠だけでは難しいので、色ガラス微粉で絵具を作りガラス面の上に筆で描いて焼き付けます。
一方でアメリカ式は、太さが変化する鉛枠で大きく輪郭線を書いて、微妙な描写は色ガラス自体で表しました。
それまでの色ガラスは、いろいろな顔料をよく混ぜ、一つの色を出していました。
しかしアメリカ式のガラスすでに作られた色ガラスをいったん溶かし、完全に混ざり合う前に広げて伸ばした、二色の中間色が無限に表れるガラスとなります。
白や透明のガラスを加えれば、色調は千変万化。
色のにじんだ感じが宝石のオパールを連想させることから、「オパルガラス」と呼ばれました。
また、色ガラス片を数枚重ねて鉛枠で止める技法も使われます。
重ね方によって無限に色調が生まれるだけではなく、ガラスの間の反射や屈折で美しい光沢が現れます。
オパルガラスと重ねガラスの技法を極めたのはティファニーで、彼の代表作はアメリカ以外では日本に集まっていて、島根県松江市のルイス・C・ティファニー庭園美術館では実物を見ることができます。
ラファージは日本の版画を勉強してステンドグラスに応用したため、人物の配置などが日本の版画と似ていたり、日本絵画史上最大の画派である狩野派と似たようなところがあったりと、ある人物が書いています。
とある人物とは小川三知、「日本のステンドグラスの中興の祖」ともいわれる人です。
十一年間アメリカで修業し、日本画、洋画、色ガラスの扱い全てにおいて世界でもトップクラスの技術を身に着けていました。
三知は帰国してすぐに慶應義塾図書館の階段室の依頼を受けています。
オパルガラス、重ねガラス、などのアメリカ式の技術を駆使して大成功をおさめ、三知は大正のステンドグラス界をリードする存在となりました。