日本におけるステンドグラスの歴史|ステンドグラスのイロハ

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日本におけるステンドグラスの歴史

日本におけるステンドグラスの歴史

ステンドグラスが日本に上陸した時期ははっきりとはわかっていません。
開国に伴ってということなので、安政五(1858)年以後であることは確かです。
場所は長崎である可能性が高いです。
長崎は開国前から洋風建設の指導をオランダ海軍から受けていたし、すでに開港されていた場所から外国人が押し寄せ、洋風の住宅や教会が速やかに建設されていきました。
よってステンドグラスの第一歩は長崎に合ったと思って間違いないでしょう。

しかしあるのは状況証拠だけで、明治二(1869)年頃のリンガー弟亭にもステンドグラスは使われていません。
日本に現存するキリスト教建築物としては最古である大浦天主堂にはステンドグラスがありますが、これは元治元(1864)年の建物の完成当時のものではなく、明治八(1875)年に拡張されたときに持ち込まれたものです。

明治維新以前にステンドグラスに日本に上陸した可能性はなくなったかに思えます。
しかし、本格的なステンドグラスはないとしても、明治八年に拡張されたときの側廊の壁の尖頭アーチの窓には、図像のない幾何紋様のステンドグラスがはめられています。
ある一部が、竣工当時の形と瓜二つなのです。
竣工時の形は写真と絵の中でしか伝えられていません。
モノクロ写真と絵なので色ガラスかどうかはわかりませんが、10年後に使われたのが色ガラスということは、竣工時のものがそのまま転用されたと考えられるのではないでしょうか。
色ガラスは大変貴重だったため、竣工事が色ガラスだった場合は再利用したと考えて問題ないでしょう。
すでに香港や上海や東南アジアではキリスト教会が立っていて、聖画のステンドグラスが作られていましたので、パリ外国宣教会が作った大浦天主堂には聖画とはいかなくても色ガラスが使われていても不思議ではありません。

そして次は横浜です。
慶応二(1868)年の火事の後は、石や煉瓦を用いた洋風の建物が多く作られていました。
現在実物は残っていませんが、残された錦絵によると、色ガラスが用いられていたことがわかります。
慶応二年から明治初期の横浜が、第二歩と考えられます。

三歩目は、横浜で欧米人建築家の下で働いていた大工のうち二人が明治元(1868)年から明治六(1873)年にかけて幕府と政府のための洋風建築に取り込みました。
これにより、ステンドグラスが日本の国内へ進出し、日本人が自分のものとして使用するようになりました。
積極的に新しいものを取り入れようとしている明治初期の日本人の手に、ステンドグラスが渡ることとなりました。

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